第2章.主要政策
A.生活の質向上
ジュリアーニ市長は、より安全で清潔そして繁栄する都市づくりを目的として、常に生活の質を向上させるための手順や方法を明確にしてきた。この中には、犯罪減少や公共治安の向上、さらにタクシーの取締強化や過剰な騒音の抑制、及びコミュニティーの関係改善などが含まれる。市長は、自分の生活の質向上に向けた施策によって住民がニューヨーク市がより良くなり続けていることを信じられるようになったので、市の未来により明るい希望をもたらすことになったと主張してきた。
ジュリアーニ市長は、犯罪学者のジェームズQ.ウィルソン (James Q. Wilson)が主張する『壊れた窓(Broken Windows)』理論に同意し、市の取り締り戦略の中心に据えた。同理論は些細な事が大きな違いをもたらすことを主張する。ウィルソン博士の説明によると、「工場や事務所の窓が壊れていると、これを見た通行人が誰も気にしていないか、誰も管理していないのだと結論することになる。同時に、少数の人々がもっと窓ガラスを割るために石を投げ始め、やがて窓ガラスは全て割られることになる。こうなると今度は通行人が、単にそのビルが誰にも管理されていないのだと考えるだけでなく、ビルが面している通りも管理されていないのだと考える...そしてますます多くの市民がその通りをうろつき回る者たちに通りを明け渡してしまうことになる。小さな無秩序がより大きな無秩序につながり、それが多分犯罪にさえつなが� ��のである」1。言い換えれば、無秩序な雰囲気と相互に尊敬しあうことの欠如がより深刻な反社会的行動につながることになるという訳である。ジュリアーニ市長の重点事業は、この些細な事を注視し、市が法と秩序を維持する配慮をしているのだ、というメッセージを発すれば、市全体がより安全になるという考えに基づいていた。例えば市長は、警察が犯罪減少のために単に殺人だけでなく、音量の大きな音楽、無賃乗車、公共の場での飲酒、交通安全の取り締まりや爆竹・花火の規制等、相互の義務と尊敬という考え再度強調するのに役立つような軽犯罪を排除する業務にも一掃焦点をあてるよう命じた。1996年、通りでマリファナを吸ったり、万引き、無賃乗車、落書き等の犯罪で裁判所の召喚状を受けた人々のうち大体50%は裁判所に出頭しなかったので、ジュリアーニ市長は、これら出廷を怠った人々を再度逮捕することをニューヨーク市警本部(NYPD)の目標として据えた。
1 1998年2月24日のジュリアーニ市長演説『次の段階の生活の質:より市民的な都市づくり (The Next Phase of Quality of Life: Creating a More Civic City)』(巻末資料4を参照)より。
1998年初め、ジュリアーニ市長は生活の質向上に関する同市政の主要業績についての演説をした。同演説で下記の業績が主な例として掲げられた。
殺人件数は1990年代初めの2,000件から、1997年には800件弱に低下した。これはここ31年間で最も少ない。
過去4年間で全犯罪件数が44%低下した。 34万人を越える人々が福祉(生活保護)から離れ、公共扶助を受けている個人の総数が1968年以来初めて80万人を下回ることになった。
過去10年間の初頭には32万人を越える民間部門での雇用を喪失したが、今ではニューヨーク史上最大の雇用増加率を享受している。
最近、州の最高裁判所がポルノ・ショップの店数を大幅に制限するニューヨーク市の成人ゾーニング条例 (adult zoning ordinance)を全員一致で支持した。
ニューヨーク市警本部(NYPD) は、破壊行為に対する取り締まりを強化し、同逮捕者数は1994年7〜10月期の32人から1997年の同期には305人に増加し、1997年1年間では合計1,597人を逮捕した。
輸送局(Department of Transportation) は1994年7月以来2,150万平方フィート(199万7,350平方メートル) 分の落書きをきれいにした。仮釈放局 (Department of Probation) のコミュニティ・サービス課 (Community Service Unit)と公園局 (Parks Department)もまた落書き排除に協力した。この他NYPDの落書き部隊(Graffiti Unit) も、時々未成年者の落書きに対して保護者に責任を追及したり、監視カメラを戦略的に配置することを通して協力を行った。
ニューヨーク市は1996年9月に生活の質ホットライン(Quality of Life Hotline)を導入し、以来毎年何千件もの苦情を受けてきた。市長は1997年11月に過剰な騒音の原因である住民や企業の取り締まりを目的とした騒音公害対策法案 (noise pollution bill) に署名し、成立させた。
清掃局 (sanitation department)は、清潔度評価システムの実施以来、市の街路を以前よりも清潔にするようになった。
公共の安全
公共の安全を高めることは、ジュリアーニ市長の生活の質向上キャンペーンの主要な課題であった。1998年初頭に報道されたニューヨーク・タイムズ紙によると、1991年以来の凶悪な暴力犯罪の低下傾向は続き、ニューヨーク市の犯罪率が1997年には9.1%にまで低下した。1997年末のデータによると、殺人が22.1%低下して30年間最小の殺人件数を記録し、レイプが3.4%、強盗が10.1%、そして家宅侵入が11.5%低下した2。全米の主要都市で過去5年間犯罪減少傾向が続いている一方で、ニューヨーク市の凶悪犯罪の減少はほとんどの都市部よりも顕著でより長期的な持続傾向を見せていたため、ジュリアーニ市長の犯罪対策手腕が全米レベルで注目される結果となった。1997年ニューヨーク市内では767件の殺人があったが、1996年の984件より低下し、756件の殺人が記録された1967年以来最も少ない殺人件数だった。同市の殺人発生率は、2,245人が殺害された1990年にピークを記録していた。
ニューヨーク市の犯罪発生率と米国のその他大都市との比較では、FBI(Federal Bureau of Investigation: 連邦捜査局)が1997年に、1996年上半期における犯罪総数においてニューヨーク市が全米189大都市中で144位で、1995年の182都市中136位から改善されていることを報告した3。同報告書は、殺人と過失でない故殺、レイプ、強盗、加重暴行(婦女子に対する暴行等、普通の暴行より刑が加重されるタイプのもの)、家宅侵入、窃盗、及び自動車窃盗の7つの犯罪分類におけるデータを基盤にしている。1996年上半期の同データによると、アラスカ州アンカレッジやミズーリ州インデペンデンス (Independence)の人々の方がニューヨーク市より深刻な犯罪の犠牲者になる確率が高いようだった。ニューヨーク市の改善は全米レベルでの犯罪率を3%低下させることにも貢献した。ニューヨーク市を全米25大都市と比較すると、ニューヨーク市はレイプで23位、家宅侵入で22位で、窃盗では25都市中最小の発生率だった。ニューヨーク市は唯一強盗犯罪において8位と、犯罪率が高くなっていた。4
2 1998年1月3日付けニューヨーク・タイムズ紙『97年市の犯罪が9.1%低下 (Crime in City Down in '97 by 9.1%)」記事より。
3 1997年1月6日付けニューヨーク・タイムズ紙『FBIがニューヨークは大部分の都市より安全だと報告 (FBI Reports New York is Safer than Most Cities)』記事より。
4 同上。
この大幅な犯罪減少の理由の一つがジュリアーニ市長の警察取締戦略だというわけである。警察は主に無線連絡される犯罪通報への対応に何十年も注力してきたが、特に町の通りの麻薬販売の逮捕等の軽犯罪は逮捕するともっと腐敗が悪化するのではないかという恐れから逮捕をしないことを奨励されてきた。ジュリアーニ市長は就任後すぐにジュリアーニ市政最初の市警本部長だったウィリアム・ブラットン (William Bratton)と協力して、この考え方を逆転させた。また就任後2年以内にジュリアーニ市政は以前は別々に別れていた住宅警察部門と鉄道警察部門をニューヨーク市警本部内に統合し、二重に重なり重複していた機能を削減し、500人を越える警察官を直接巡回業務に配置した。
ジュリアーニ市長の警察戦略は、1991年に「安全な街路 (Safe Streets)」と名付けた犯罪撲滅計画を開始したデヴィッドN.ディンキンス (David N. Dinkins) 前市長の戦略とまるで対照的なものである。ディンキンス前市長の計画は、各地下鉄駅と街角に7,000人の制服の巡回警官を追加配置し、これら警察官の成績評価を彼らが組織するコミュニティーとの会合数と地域問題を記録する「巡回帳(beat books)」をいかにきちんと記録したかに基づいて査定した。ニューヨーク市民犯罪委員会 (Citizens Crime Commission of New York City) の会長は、「ブラットン市警本部長が就任し、制服警察が住民と協力すれば何でもできるという概念を修正した。同氏は標的とする犯罪を特定する管理制度を導入し、地域警察の理論に対抗することになる特別部隊を幅広く利用した」5。
ジュリアーニ市長の積極的な犯罪撲滅戦略の重要な基盤は、集中的な犯罪分析活動と犯罪データの更新、及びコンピュータのマッピング機能を基本犯罪対策ツールとして利用する、「コンプスタット(Compstat)」と呼ばれる新しい警察管理体制にあった。コンプスタットの導入により、ニューヨーク市警本部は犯罪に対応した受け身的な組織から犯罪行為を探知する積極的な活動を行う組織に変革した。コンプスタット以前はニューヨーク市警本部の76%の警察署長は、市警本部の上層部から孤立していたが、コンプスタットの導入により警察分署の署長が市警本部長、警察本部の各部長(chief of department)、警部(chief of detectives)、及びその他管理指導者達と2週間おきに会合し、地域的な犯罪パターンを明確にし、戦略を選考し、資源を配分するようになった。署長達には報告責任が課され、5週間毎に彼らの上司のパネルの前で報告することになっている。ニューヨーク市警本部の成功を、すでに発生した犯罪に対する警察官の対応である逮捕件数で測定する代わりに、現在市警本部は犯罪の予防及び抑止の効果を示す犯罪データを測定している6。